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英語×環境構築 ・ 2026/8/25

ワーホリ1年。英語は思っていたほど伸びなかった。僕が2年目に「逃げられない環境」を作った方法

#ワーホリ#英語学習#環境作り#人間関係

「1年もオーストラリアにいるのに、なんでそんなに英語話せないの?」

2年目に入ったタイレストランで、同僚から冗談半分にそんな趣旨のことを言われたことがある。

普通に刺さった。

きつかったのは、その言葉に自分でも反論できなかったことだ。

TOEICは渡航前に約700点あった。語学学校にも3ヶ月通った。オーストラリアにも、すでに1年いた。

それでも、ネイティブレベルの同僚たちの中に入ると、自分の英語力は職場でも最底辺だと感じた。

何度も聞き返される。伝わらない。そのうち、話すこと自体が怖くなっていく。

「海外にいれば、英語は自然に伸びる」

正直、僕はそう甘く見ていた。

でも、本当の問題は英語の才能でも教材でもなかった。僕はオーストラリアに住みながら、英語を使わなくても生活できる環境を、自分で作ってしまっていた。

前回の記事では、渡航前の英語力と、渡航直後に空港やカフェで受けた衝撃について書いた。今回はその続き、「じゃあ僕は何を変えたのか」という話です。

オーストラリアにいたのに、1日の半分も英語を使っていなかった

渡航して最初の頃、僕はホストファミリーの家に住んでいた。英語を使う場面といえば、ほとんどがホストマザーとの会話だった。

平日は語学学校に通っていた。片道約1時間、バスに揺られて通う日々。授業が終わって帰宅する頃には結構疲れていて、家で英語を勉強する気力はほとんど残っていなかった。

そんな生活を3ヶ月続けても、正直、英語が大きく伸びたという実感はなかった。

体感でしかないけれど、1日の中で本当に英語を使っている時間は、半分にも満たなかったと思う。オーストラリアに住んでいるのに、だ。

英語が怖くなって、結局日本人と過ごす時間が増えた

理由の一つは、語学学校のクラス編成にもあったと思う。基本的に、周りは自分と同じくらいの英語レベルの生徒ばかりだった。授業の内容も、正直そこまで難しく感じないことがあった。

たまに上のクラスの人と関わろうとすると、状況は一変した。自分の英語を聞き取ってもらえない。聞き返される。会話がうまく成立しない。

こういう経験もあって、英語を話すこと自体への怖さが少しずつ積もっていった。結果として、日本人と過ごす時間の方が増えていった。

1年目に働いていた職場にも日本人はいたし、韓国人の上司とも簡単な英語で会話する程度で成立してしまう環境だった。

「同じレベルなら話せる」が、僕には落とし穴だった

同じくらいの英語レベルの非ネイティブ同士だと、変な安心感があった。相手も完璧な英語を話すわけじゃないから、気を使わなくていい。

ただ、これはあくまで僕の場合の話だけれど、同じレベルの相手とばかり話していると、お互いの間違いに気づきにくい。新しい発見や学びも、正直あまり感じられなかった。

「非ネイティブと話しても意味がない」と言いたいわけじゃない。問題だったのは相手の英語レベルではなく、僕が「通じる場所」だけに居続けていたことだった。ただ当時の僕にとっては、その居心地の良さが、成長を止めていた面があったと思う。

2年目、僕は日本人のいない職場を意図的に探した

1年目が終わる頃、このままではまずいと思った。英語が伸びなかった実感が、はっきりあったからだ。

2年目は、意図的に英語を使わざるを得ない環境を作ろうと決めた。

当時、自分が見ていた範囲では、オーストラリアのタイレストランには日本人スタッフがあまりいないように見えた。そこで、いくつかのタイレストランに自分から連絡を取った。

実際に働き始めた職場には、日本人の同僚は一人もいなかった。しかも、同僚はネイティブレベルで英語を話す人がほとんどだった。

「1年いるのになんで話せないの?」普通に刺さった

職場に入ってすぐ、自分の英語力が周りと比べて最底辺だと痛感した。

仕事中、自分の英語を正確に聞き取ってもらえないことがしょっちゅうあった。それがかなりのストレスだった。

ある同僚からは、冗談半分で「1年間もいるのに、なんでそんなに英語が喋れないの?」という趣旨のことを言われたこともある。

軽い冗談だったんだとは思う。それでも、普通に刺さった。何より、その言葉に自分でも反論できなかったのがきつかった。

英語を話すこと自体への自信も、正直なくしていた。

逃げられない英語環境に入ったら、最初はもっとしんどくなった

英語ができるようになるどころか、最初はストレスの方がずっと大きかった。聞き取ってもらえない。伝えたいことが伝わらない。逃げ場もない。

それでも、日本語に切り替えて逃げられる環境ではなかった。聞き取れなくても、伝わらなくても、次の日にはまた英語で仕事をしなければならない。

嫌でも、英語から離れられなかった。

それでも、誘われたら仕事の外でも会った

仕事はしんどかったけれど、同僚に仕事外で誘われたときは、できるだけ参加するようにしていた。

飲みに誘われれば行く。それを続けているうちに、少しずつ同僚との距離が縮まっていった。

英語ができたから仲良くなったんじゃない

ここが、自分にとって一番大きな気づきだった。

英語が上手くなってから同僚と仲良くなったわけじゃない。誘いに乗って、仕事以外でも関わるようになった結果として、英語を使う時間そのものが増えていった。

順番が逆だったんだと思う。英語ができたから人とつながったのではなく、人とつながった結果、英語を使うようになった。

僕に足りなかったのは、英語を勉強する場所じゃなかった。英語を使う相手だった。

仕事を変えただけでは終わらなかった

職場を変えたことは大きなきっかけになったけど、それだけで終わりにはしなかった。

日本人コミュニティの外にいる人たちとも、自分から積極的に関わるようにした。Bumbleなどのアプリを使って、普段なら接点のなかった海外の人と会う機会を作ったのもその一つだ(このあたりの詳しい話は、また別の記事で書こうと思う)。

それから、日本語を教える活動も始めた。海外の日本語学習者と自分から接点を作ることで、英語を使う場面はさらに広がっていった。

僕が変えたのは、勉強法ではなく生活そのものだった

振り返ると、1年目と2年目で変えたのは勉強法じゃなかった。

単語帳を新しくしたわけでも、勉強時間を増やしたわけでもない。変えたのは、誰と働くか、誰と遊ぶか、仕事以外で誰と関わるか、という生活そのものだった。

海外にいるのに英語をほとんど使っていないと感じるなら、必要なのは新しい教材じゃなく、身の回りの環境かもしれない。

僕の場合、変えたのは勉強法じゃなかった。

生活そのものだった。


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